埼玉大会の記録

-総会終了の御挨拶-

 平成27年度一般社団法人日本樹木医会定時社員総会を、6月5日(金)、さいたま市の大宮ソニックシティーにおいて375名出席の下、無事開催することができましたことをご報告申し上げます。

 ご後援をいただきました国、埼玉県、さいたま市および関係機関の皆様には、ご多忙中にも関わらずご臨席を賜りましたこと、この場をお借りして御礼申し上げます。また、資料を提供していただくなど、御尽力いただいた既開催県支部の皆様にも、改めて感謝申し上げます。

 本年度の総会におきましては、全国の皆様に「彩の国さいたま」の伝統と文化を知っていただくとともに、全国の樹木医の皆様の情報発信と情報交換の場としても活用していただけるように準備を進めてまいりました。

  記念講演では、埼玉の特色を活かすべく、埼玉県久喜市で生誕した「日本の公園の父」と呼ばれる本多静六博士を取り上げ、「本多静六博士の空間設計について」と題し、自然公園や都市公園における森林の運営管理について、東京大学大学院教授下村彰男先生にご講演いただきました。また、日本有数の盆栽の産地であるさいたま市にあって、伝統的な文化芸術である盆栽の調査研究とそれを世界に発信している大宮盆栽美術館の田口文哉学芸員に、「〈盆栽〉の物語-さいたま市に根付いた盆栽の歴史」と題して、その歴史についてご講演いただきました。そして、全国の支部の活動報告・情報交換の場として企画いたしましたポスターセッションですが、わずかな時間であったにも関わらず、多くの方にご活用いただいたようです。

 総会・講演会の後の交歓会では、全国31都道府県の会員及び来賓者を含め、約190名の方が参加され、会員相互及び来賓の方々との親交を深める良き機会を得ることができました。

 翌日のエクスカーションは、前日の講演会の内容に沿って大宮盆栽村・盆栽美術館と本多静六が計画を行った明治神宮の見学を行いました。特に、明治神宮では、当苑に勤務する田中昌之樹木医に、明治神宮の杜の解説と現地案内をしていただきました。そして、この「100年の杜」が抱える課題について、参加された皆様と多くの意見交換をすることができました。短い時間ではありましたが得難い機会をいただくことができました。

 この様に、全国の皆様からの温かいご支援をもちまして、埼玉大会を成功裏に終えることができましたことに御礼申し上げ、ご挨拶とさせていただきます。大変ありがとうございました。

平成27年7月
一般社団法人日本樹木医会 埼玉県支部
支部長 深澤賢史
埼玉大会実行委員長 野村静男

日程

平成27年度一般社団法人日本樹木医会定時社員総会が、以下の日程で行われました。

  平成27年6月5日(金)
   定時社員総会及び樹木医講演会
    場所:大宮ソニックシティ【2階 小ホール】
   交歓会
    場所:大宮ソニックシティ【4階 国際会議場】

  平成27年6月6日(土)
    エクスカーション「本多静六博士の事績と盆栽美術館を訪ねて」と題して、
    午前はさいたま市大宮盆栽美術館・盆栽村、午後からは明治神宮を見学しました。

総会

総会の様子

 来賓に林野庁や県、さいたま市から15名の方々をお招きし、総勢375名の出席の下、大宮ソニックシティー・小ホールにて開催されました。総会では、物故者に黙祷をささげた後、会長挨拶に続き、これまでの功労に対して24名の方に感謝状が授与されました。その後、議案に対する議事も滞りなく進行し、次期定時社員総会の開催地が兵庫県との紹介がなされ、無事総会を終えることができました。

講演会

 総会の後の講演会では、記念講演と講演、樹木医事例報告が成されました。記念講演では、埼玉県久喜市で生誕した「日本の公園の父」と呼ばれる本多静六博士を取り上げ、「本多静六博士の空間設計について」と題して、東京大学大学院教授下村彰男先生にご講演いただきました。続く講演では、日本を代表する伝統的な文化芸術である盆栽の調査研究と盆栽文化を世界に発信している大宮盆栽美術館の田口文哉学芸員による「〈盆栽〉の物語-さいたま市に根付いた盆栽の歴史」についてご講演いただきました。また、事例発表では、埼玉県支部の梶川昭則、前田正明の両氏が、さいたま新都心の「けやきひろば」についての報告をいたしました。

記念講演要旨
  本多静六博士の空間設計
   ―近代における新たな自然との共生像の提供―
   東京大学大学院教授 下村彰男氏

下村彰男氏講演の様子

 本多静六博士は、慶応2年(1866年)に、現在の埼玉県久喜市(旧菖蒲町)の折原家に生まれ、明治23年(1890年)東京農林学校を卒業し、ドイツへ留学する。ドイツでは、ターラント山林学校、ミュンヘン大学に学び、経済学の博士学位を取得する。帰国後、明治25年(1892年)帝国大学農科大学の助教授として採用され、明治33年(1900年)に「日本森林植物帯論」で林学博士の学位を取得する。昭和2年(1927年)に大学を定年退職するまでの間に、林学はもちろんのこと造園分野での教育研究に尽力し、多くの後進を育てた。活躍の範囲は、北海道から九州、韓国、中国にまで及び、その内容も都市公園の設計から、自然公園の利用促進策、地域の発展策(活性化計画)と非常に多彩で、水戸偕楽園や埼玉羊山公園、鉄道防災林、水源林、大学演習林にも関わっている。一方、蓄財法や経営論、あるいは人生哲学といった点でも注目を集めている。固定観念にとらわれず、近代における森林や自然との新たな共生像を提示した。その業績は、以下の様に区分できる。

1.都市のみどり

 西欧風の近代都市公園像が具体的に掴めていなかった日比谷公園の設計案を作成し、欧風近代公園像を提示することに成功する。この他、福岡の大濠公園、さいたま市の氷川(大宮)公園、和歌山市の和歌山公園など、各地の代表的な都市公園や著名な明治神宮内苑、東京駅丸の内口の駅前広場なども手がけた。

2.自然公園・森林公園

 都市近郊において、森林の中を散策したり飲食・歓談したりする森林公園の計画・設計とともに、日光や箱根、霧島地域の風景利用策を手がけている。国立公園制度の設立や指定に尽力し、後の国立公園制度にも大きく影響している。

3.地域の発展策

 有馬や城崎、由布院など、各地の温泉地を中心に改良発展策(風景利用策)と称した活性化計画を提供している。動線と拠点の整備といったハード面での提案だけでなく、風景管理を行う保勝会の設置や、名産・名物の開発といったソフト面での提案も行っており、現代の地域計画に通ずる方法論の基本的な枠組みを提供した。

4.時間軸を有した実学者

 鉄道林や水源林の設置、大学における演習林の設置などにも尽力。単に空間(施設)としての森林整備とその機能発揮に主眼を置くだけでなく、長期的な時間軸を想定した森林の更新管理方策や財政的側面での経営方策を合わせて提言した。

講演要旨
 〈盆栽〉の物語―さいたま市に根付いた盆栽の歴史
   さいたま市大宮盆栽美術館学芸員 田口文哉氏

田口文哉氏講演の様子

〈盆栽〉は、比較的新しい名称だが、はるか昔から現代の大宮盆栽村に至る歴史。

物語のはじまり

 8世紀初頭の中国・唐代の李賢という王子の墓内部の壁画に、浅い鉢(盆)を両手で捧げ持つ従者が描かれており、鉢の上に載せられた二つの石のような塊から植物が伸びている。盆栽は古代の中国にはじまったと考えられる

盆栽、日本へ

 日本では、平安時代の貴族の屋敷に、木枠の大きな台に砂を敷き詰め、その上に大型の石を2つ据えて樹木を植えた「石付き盆栽」が置かれていた。

「盆山」と呼ばれた石付き盆栽

 室町時代には「Bonsan(盆山)」と称され、将軍家や僧侶たちの間で大変な流行をみせた。

お殿様の鉢植愛好

 江戸時代に入り、江戸の大名屋敷に大名庭園が築かれるようになると、専用の育成場所を伴った盆栽の姿が見られるようになる。そして、本草学と呼ばれる薬草研究を主とした学問を基礎に、後には観賞用の珍しい草花なども含めて、多種多様の植物を鉢植えにして育てた。

花開いた庶民の鉢植え文化

 江戸時代後期には、そうした鉢植え愛好が庶民の手の届く趣味になっていく。

煎茶会と「盆栽」

 江戸時代末期には大坂や京都を中心に盛んに煎茶会が催され、その流行は明治時代に及び、床の 間に上げられることのなかった盆栽が、座敷飾りの道具として置かれはじめた。「盆栽(発音:ボンサイ)」の語は着実に浸透していく。

政財界人のステータスシンボル

 煎茶の文化は、1894年に起きる日清戦争の影響で退潮していくが、影響力のある政財界人が愛好したことから、盆栽をたしなむことがその後のステータスシンボルとなっていく。

盆栽は芸術だ!

 日中戦争前の一時期、芸術としての盆栽の基礎を築いた大きな運動が起こり、「美術館」での展覧会を求めるようになった。昭和9年(1934)に、上野に建設された東京都美術館を会場として「国風盆栽展」が開催された。同展覧会は、現在も同会場にて毎年開催されている。

大宮盆栽村の誕生

 江戸時代から大正時代にかけて、東京都文京区千駄木の団子坂付近には、多くの植木屋や盆栽園が店を構えていた。しかし、環境の悪化に頭を悩ませていた盆栽園の一部は、大正12年(1923)に起きた関東大震災をきっかけとして、郊外に新天地を求めて集団移転計画を立てた。交通の便がよく資源豊富で環境の良い大宮公園の北側に、大正14年4月に移転を開始し、昭和3年に組合員約20名の「盆栽村組合」を発足させた。


 戦時中、盆栽は「ぜいたく品」と見なされ、盆栽村もその影響を受けたが、復興に向けて地道な活動を続けた甲斐もあって、次第に国内外の政治家や著名人が盆栽の見学に来村するようになった。戦後の大宮盆栽村は、盆栽の魅力を国内外に知らしめる大きな役割を担った。

樹木医事例報告要旨
 「さいたま新都心の『けやきひろば』」
  報告者 埼玉県支部  梶川昭則氏、前田正明氏

樹木医事例報告

 2000年に街開きが行われたさいたま新都心では、さいたまスーパーアリーナ、国交省など官公庁の出先機関が多数入居する合同庁舎、郵政庁舎と共に、その中心的エリアに「けやきひろば」がオープンした。

けやきひろばの概要

 「けやきひろば」には、地上7mの人工地盤上に「空の森」をテ-マに220本のケヤキが植栽された。通常であれば建物の構造や強度に制約を受けながら緑化の計画が立てられるところ、ここではケヤキの植栽位置や成長量に合わせて建物の設計がされたことに、従来の屋上緑化との大きな相違点がある。また、ケヤキの成長を緩やかに制御する植栽基盤構成となっている。

成長と抑制を考慮した「けやきひろば」の基盤構成

 永続的かつ健全に生育できるよう、環境要因に対する緩衝能力を持ちつつ、荷重条件に見合うよう自然構造に近い構成とし、A層(表層~60cm)には改良黒土(真珠岩パ-ライト40%と高有機土壌活力肥料を5%混合)、B層(60~80cm)には人工軽量土壌そして排水層に黒曜石パ-ライトを用いた。配植は、10m角の植桝には4本ずつ、10m×15mの植桝には6本ずつ植栽し、土壌固結を起こさないよう浮床構造としている。

「けやきひろば」のバイオマス成長量(炭素ストック量)について

 2000年3月のオープンから約9年が経過した2009年5月3日に材積を算出するため、樹木の胸高直径、樹高を測定し、バイオマス成長量の測定を行った。 結果、バイオマス成長量は、220本の平均で0.0127t-C/本/yrであった。現在日本における「植生回復」による樹木個体当りのバイオマス成長量は、都市公園樹木で0.0105t-C/本/yr、道路緑地で0.0108t-C/本/yrである。これらと比べて高い数値となっている。積載荷重の増加量は、面積で換算すると約6.2kg/㎡程度であり、これは当初の積載重量の0.6%程度の上昇量であった。

 当初から綿密に計画された土壌構造をはじめ、植栽計画による成果と考えられる。今後は樹齢による成長量の推移や、基盤容量と成長量の相違について、また地下支柱のメンテナンスや将来の剪定方法なども含めて、多物件の調査と比較しながら検討を重ねる必要があると考えられる。

ポスターセッション

ポスターセッションの様子

 各支部の活動の一端を見ていただければと講演とは別に、全国の支部の活動報告の場としてポスターセッションを企画いたしました。わが県以外にも栃木県、神奈川県、新潟県、富山県、大阪府、兵庫県、奈良県の各支部と本部技術部会からの応募をいただき、エントランスホールに掲載し、情報交換の場として活用していただくことができました。

  • 栃木県支部 「栃木県支部の活動状況」
  • 埼玉県支部 「さいたま新都心の『けやきひろば』」
  • 神奈川県支部「菌根菌によるクロマツ樹勢回復
            ~クロマツ樹勢回復実験の結果観察と実施~」
  • 新潟県支部 「新潟県指定天然記念物「高森の大ケヤキ」調査から治療まで」
  • 富山県支部 「富山さくらの名所におけるソメイヨシノの健康度調査」
  • 大阪府支部 「御堂筋いちょうマップ作成」
  • 兵庫県支部 「花岳寺なごりのマツ二代目樹勢回復治療経過報告」
  • 兵庫県支部 「兵庫県みどりのヘリテージマネージャー会の活動」
  • 奈良県支部 「橿原市保護樹候補木の健全度調査」
  • 日本樹木医会 本部技術部会「病害虫検索システムを利用してみよう」
  • 日本樹木医会 本部技術部会「津波の被害を受けた都市樹木の調査」

交歓会

 交歓会は、講演会の終了後に大宮ソニックシティ4階・国際会議場にて、全国の支部から約190名の方々参加を得て盛況な会となりました。会員相互をはじめ来賓の方々との親交を深める良い機会を得ることができました。
交歓会の様子1  交歓会の様子2

エクスカーション

「大宮盆栽美術館」・「盆栽村」の見学

「大宮盆栽美術館」・「盆栽村」の見学1

●参加者

46名

●見学箇所

「大宮盆栽美術館」・「盆栽村」 さいたま市北区土呂町

●案内者

大宮盆栽美術館 学芸員 田口文哉氏、
盆栽村案内(添乗員・埼玉県支部会員)

●見学の内容

◎盆栽美術館見学 → 盆栽村散策(2班に分かれて見学)

  • 盆栽美術館は班毎に田口学芸員による解説を受けながら館内を見学しました。皆さん田口学芸員の解説に、盆栽に対する理解を深めるとともに感銘を受けていました。
  • 盆栽村は、自由散策を基本といたしましたが、蔓青園・清香園の2園では担当者より展示品の解説を受けながら見学しました。清香園では盆栽の造形・管理技術について解説を受け、多々質疑応答があり活況でした。

◎盆栽美術館・盆栽村では、写真撮影のできない場所が多く、
 写真での詳細な記録が残せませんでした。

●盆栽美術館・盆栽村 概要写真
「大宮盆栽美術館」・「盆栽村」の見学2

盆栽美術館入口にて田口学芸員よる施設の説明

「大宮盆栽美術館」・「盆栽村」の見学3

田口学芸員による屋外展示の説明

「大宮盆栽美術館」・「盆栽村」の見学4

学芸員よる屋外展示の説明

「大宮盆栽美術館」・「盆栽村」の見学5

盆栽村 清香園入口

「明治神宮 林苑」の見学

「明治神宮 林苑」の見学1

樹齢100年生以上のクスノキ・アカガシ・シラカシ・スダジイ・針葉樹等が混在

●見学箇所

「明治神宮」参道・林苑内・他東京都渋谷区代々木神園町1-1

●案内人

講師・案内者 明治神宮 総務部 警備管理課 林苑 
 田中 昌之(たなか しょうし)氏(樹木医)

●見学の内容

◎社務所 講堂にて明治神宮の創設~現在の解説 → 林苑視察
      → 菖蒲園見学

  • 「明治神宮の林苑(100年の森)」に至る、造林から現在の林叢に至る経緯についての講義。
  • 「林苑視察」では、苑内の代表的な衰退木(罹病木)を観察し、その原因・病害特定・対処法等を外観的に考察しながら、参加者と意見交換を行いました。
明治神宮見学会写真
「明治神宮 林苑」の見学2

社務所内講堂にて田中氏よる「100年の杜」についての講義

「明治神宮 林苑」の見学3

社務所前でクスノキ衰退木の観察

「明治神宮 林苑」の見学4

苑内の罹病木の観察

「明治神宮 林苑」の見学5

本殿・客殿裏で樹勢の衰退したヤマザクラの養生方法を検討


本見学会にて苑内の見学・観察箇所

 「明治神宮 林苑」の見学に関する詳細についてはエクスカーションの付帯研修として、別途PDFにて「研修会の報告」に掲載しますので、そちらをご覧ください。

本見学会にて苑内の見学・観察箇所
  ※画像をクリックするとPDFでごらんいただけます。

●エクスカーションを終えて
 本見学会では、時間的制限から広大な敷地の中のごく一部、本殿東側周辺苑内及び南参道の代表的な対象木しか見学できませんでしたが、その中に見られた衰退木・罹病木の症状は明治神宮林苑全般に共通する特徴的なものです。今後「明治神宮の杜」をどのように維持・管理をして後世へ引き継いでゆくのか、またその手助けを含め、我々樹木医にとって何ができるか皆様と一緒に思案できればと考えます。

埼玉大会を終えて

実行委員会委員長

野村
 大会が盛大に、多大な成果を収めて、無事に終わらせる事ができ本当によかったと思います。実行委員の皆さんには〈お家の大事〉とばかり、一生懸命やっていただきました。そのおかげです。あらためてありがたく心から感謝申し上げます。
 大会が無事終わりほっとしています。埼玉県支部の樹木医のみなさんの、縁の下の力のお陰とあらためて申上げます。

実行委員会副委員長

内野
 大会の準備をするから手伝って欲しいと言われ、当初私は実行委員会に協力ならOKということだったのに、ところがどっこい始まってみたら副実行委員長にさせられてしましました(ある人の陰謀?により)。本部の意向や過去の大会の事など何も分からず委員会を纏めるなんて無理!
 まあ、終わったからいいか

総会担当

   
 パートリーダー
松本
 大会運営するのは初めての経験。だれでも不安になりますね!やることは山ほどあるけれど先が見えない、そんな毎日を1年間続けてきた感じでしたね。
 大会のテーマが決まり、各担当が準備を進めていきますが、実行委員会で決議して前に進むため、最終的には数名の人間が核となって引っ張って行くことになりました。
 でも一番大変なのは総会当日開会前の数時間でした。総括責任者として、やることが多すぎてパニックになりそうでしたが、司会第一声を聴いた時にほっとしました。“実感”!
 会場案内
秋元
 大宮駅前で会場案内をしていました。僕のとなりには「DVD個室鑑賞1時間○○円!」という看板を持った人が立っていて、如何わしい目で見られているような感じがしてました…
 あと顔見知りの樹木医の方に素通りされそうになったのが、悲しかったです…
受付
内野
 これと言って大きな問題は無かったような。しいて言えば受付の場所がもっと正面の方だったら良かったかも。スペースが限られているから仕方ないけどね。後は、男は役に立たないけど女性陣頑張ってくれて大助かり。有難うでした。
場内誘導
和田
 今も忘れられない光景。受賞者の中に歩行の不自由な方がいらして受賞後ステージに取り付けたステップをなかなか降りることができず、大変おつらい思いをさせてしまいました。あの急なステップを何度か見ていながら、なぜ思い至らなかったのか…。メンバーの荻原さんにいち早く駆けつけていただいたのがせめてもの救いでした。
 何はともあれ皆さん本当にご苦労様でした。
田窪
 私達(6名)は来賓及び功労表彰者の誘導係でした。会場の下見なしで当日朝9時集合、スタッフ全体ミーティングの後、各係に分かれての役割分担に入りました。来賓の方々の控室への誘導、檀上への誘導、退席誘導、表彰者席への誘導など、分刻みのスケジュールに合わせるための打合せは忙しいものでした。                 
 議題に入ってからは議事進行の補佐役です。議事をスムーズに進めるための掛け声、間の取り方の難しさを実感。大きな声が出せなかったような・・・。
司会者
池上
 進行だけだから楽だろうと司会を引き受けたが、台本を見ると来賓紹介から表彰者読み上げまで数ページ話すことが載っている!! うっそ~。本部の大島事務局長から「この内容でしゃべってください。人の名前は間違えないでください。時間厳守で進行してください。」とプレッシャーをかけられる!! げげっ。当日はなんとか切り抜けましたが、もう少し盛り上げられたらと反省しています。皆様お疲れさまでした。
下っ端
皆方
 楽しみいっぱい夢いっぱい? で始まった大会準備、担当は広報用のウェブサイトの制作と講演会冊子作成では印刷の手配。特に冊子印刷では、期日を過ぎてから修正の嵐が到来、テンヤワンヤで進めた準備作業も過ぎてしまえば、今は昔。実行委員会と支部会員のみなさんのおかげで、何とかスケジュール通りにこなせました。皆様、ありがとあんした。

講演会担当

 
パートリーダー
松本
 講演者の依頼は各先生方に親しい方が担当してくれましたので、私自身はあまり負担ではなかったのですが、大変だったのは、講演会の原稿を大会冊子にまとめることでした。実は、講演者の原稿だけではなく、ポスター発表の要旨集も併せて編集していたので、様式の違う原稿を大会冊子用に編集する作業は、正直言って“いいかげんにせいよ”と心の中で叫びながらの作業でした。今だから言えますがね・・・・
 
鈴木
 埼玉大会も終わり、ホッとしています。準備段階では口を出してきましたが、本番の日に家庭の事情で手伝うことが出来なくなってしまい、大きな迷惑をかけてしまいました。
 東大の下村教授に記念講演をお願いするにあたり、埼玉県樹木医会では弱いので、本部事業部会会長の肩書でお願いをしました。記念講演を受けていただきホッとしていましたが、今度は原稿が来ません。締め切り近くで、失念していましたとのこと。ちょっと焦りましたが原稿も無事届きました。
 次は約40年後? その時はまた頑張りましょう。
 
大谷
 前日、下村先生のメールに「当日遅れてギリギリの時間に到着します」とのこと。少しソワソワしましたが、無事到着されて一安心!!!
 事例報告も発表間際に発表者の梶川さん、前田さんを見失い会場を捜索。客席に座っているのを発見して一安心!!!
 そして講演会も無事終わり一安心!!!!

交歓会担当

 
 
パートリーダー
成山
 会場はソニックシティ4F国際会議場、配膳はパレスホテルで2度3度の打合せで事前準備万端と思ったが、開場してみて人の多さにビックリ!(あれ、こんなに申込みあったっけ(^^;))、案の定、開宴して間もなく宴卓料理皿はすっからかん(樹木医食欲旺盛ですな(^^;))。○○支部のこわもてが唸る×××。(-_-;)(-_-;)この窮地どうする・・速攻でむりむり追加料理手配・・時間差でちょっぴりお腹満たされたかな?

事後談:事前参加申し込み150名弱だったのが、直近の受付で165名+来賓者(思いの外多かった)結局200名ぐらいに膨れ上がったみたい。人数変更間に合わず。
※締め切り後の申込をどこまで受けるか課題ですね。勉強になりました。

エクスカーション

 
パートリーダー
成山
 さいたま盆栽美術館・盆栽村から東京明治神宮へ50km、2ヶ所をまたぐエクスカーションは、時間的にハードな企画でした。バスでお弁当(~_~;)、前夜の疲れもあって(-_-)zzzのかたも。明治神宮では日頃の慣れたフィールドワーク、皆さん意見交換に活発でした。遠方より参加の皆さんお疲れ様でした。ありがとうございました。
※簡単ですが「明治神宮のまとめ」作成しました。ご参照下さい。

広報

 
パートリーダー
石橋
 実行委員会は、正直なにをどうしていいのか・・、ただ「ハイ!」と頷くことくらい・・ せめて本番は、写真撮影をひたすら一生懸命やろうと、ひとり意気込んでましたね。でも、一つ心残りは、大会当日まで頑張ってきた「埼玉支部の有志達」として集合写真を残せなかった事。残念ではありますが、あの朝は凄い団結力と緊張感がありました。大会後の「樹木医会ニュース」で写真を使っていただけたのは光栄でした。
 
森田
 埼玉支部に入会と同時に埼玉大会の存在を知り、急きょ参加するものの、会議に段取り他etc.正直何にも分からず当日になってしまいました。当日、お手伝いをしながら参加者の方のお話しを聞くと、盆栽村に興味を持つ方が多く、エクスカーションに参加できなかったけど個人的に行ってくるという方もちらほら、埼玉に興味を持っていただけて良かったなーと思いました。